人生には予想もしない、良い出来事が起こるものです。
「Enjoy!Honda」のMCの仕事を終えて、大阪へ。
GAORA SPORTで放送された「NTTインディカーシリーズ第3戦・アラバマグランプリ」の実況を担当しました。
奇跡が起きた!佐藤琢磨選手が優勝!!
「Enjoy! Honda」のお仕事で熊本にいた日曜日の朝、ちょうど実況を担当させて頂くことになる「NTTインディカーシリーズ第3戦・アラバマグランプリ」の予選が行われていたので、インディカーの公式アプリでその様子をチェックしていました。インディカーの公式アプリではタイミングのリーダーボードと英語実況のラジオが楽しめます。
最終予選のFirestone Fast6に進出した佐藤琢磨選手(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)がなんとアタック最後の最後でトップに浮上!!見事自身8度目のポールポジションを獲得しました。
映像は見ていないのに、ホテルの部屋で一人、大興奮。
熱くなった体を冷ますかのようにシャワーを浴び、チェックアウトのために急いでパッキングしました。
「Enjoy! Honda」のディレクターも僕のインディカー実況デビューを応援してくれていて、当初は一緒に熊本に後泊の予定だったんですが、このお話を頂いた時に快く受け入れてくれてスケジュールを変更してくれました。本当に感謝です。そして、土曜日の夕方にはMCの林原真希さんが視聴者役になって、ディレクターが解説者になって、テキサスの映像を見ながらのインディカー実況の練習に付き合ってくださいました。彼はインディジャパンでもイベントディレクターを務めていたので、インディカーに詳しく、本物の解説者ばりにコメントしてくれるので本当に助かりました。
レースを眺めているだけと、実際に口に出して喋るのでは勝手が違います。
うー、すぐにカラーリングを見て、名前が出てこない。。。
やってみるとよぎるのは不安だけ。。。
しかし、佐藤琢磨選手がポールポジションを獲ったことで、一気にテンションアップできましたし、琢磨選手が前にいることでスタートはかなり実況しやすくなりました。ディレクターは日曜日も練習の時間を作ろうと言ってくれましたが、あくまで「Enjoy! Honda」を盛り上げることが日曜日の僕の使命だし、意外に時間もなかったので、イベントの盛り上げに集中。テンション高くMCができたことで、リズムに乗れた気がします。
飛行機の中ではリラックスし、大阪入り。大好きなインデアンカレーを食べて、寝ることに。
そして、朝2時45分にロビー集合で、局入り。
インディカーの名物ディレクター、稲嶺さんからプレッシャーをかけられながら実況開始。
うまく行かなくても、1戦限りだしと思って、もう腹をくくって実況しました。
レースでは佐藤琢磨選手がポールから絶妙なスタートを決め、後続を引き離し、見事なポールトゥウインを達成!ピットストップ時のメカニックのミスや、琢磨選手らしいコースアウトもありました(焦った!)が、本当に素晴らしいレース展開で佐藤琢磨選手は日本人初のポールトゥウインを現実のものとしてくれました。
いやぁこんな素晴らしいレースに巡り会えるなんて。。。
お仕事を頂いた時は、想像もしていなかったな。。。
勝つことはあると思っても、こんな素晴らしいポールトゥウインになるとはね。。。
本当に佐藤琢磨選手に感謝です!!
佐藤琢磨選手に導かれた
佐藤琢磨選手を心から尊敬する僕にとっては本当に幸せの極みのようなレースになりました。
僕は鈴鹿生まれというのもあり、中学生の頃にF1ブームに乗って、F1を好きになりました。それまではちょっとした鉄道マニア。いつの間にやら全て上書きされ、興味の中心はモータースポーツになっていきましたね。
でも、大学生になってからはラジオDJやレコード回すDJ、音楽に夢中になり、いつの間にやらモータースポーツから興味が無くなっていったんです。アメリカ留学時代にもCARTやNASCARは見ていましたが、それでも興味の中心はやはりアメリカンミュージックとラジオの世界でした。
ラジオDJになるという夢を叶える直前かな?
佐藤琢磨選手が表紙になった雑誌、たぶんレーシングオン誌を本屋で見て、衝撃を受けました。
マカオGP優勝!
正直、この雑誌に出会うまでは、佐藤琢磨という選手のことは何一つ知りませんでした。。。
え?イギリスF3でもチャンピオン!?
「何これ、すごい!」と思って興奮したのを今でも覚えています。だって、イギリスF3なんて、昔は野田英樹選手が優勝したのが快挙であって、日本人がチャンピオンになるなんて想像もできませんでしたから。
本当にすごい時代が巡ってきたのだと思いましたね。
まさに電流が走るとはこのことでした。
翌年、佐藤琢磨選手(ジョーダン・ホンダ)を見たくて、友人と久しぶりにF1日本グランプリを鈴鹿に見にいきました。当時、僕はラジオDJとしてデビューしていて、番組の中で10分だけ好きなことを企画できる時間をもらっていて、そこでF1を見てきた感想を語るわけですが、ラジオなんでエンジン音流そうと思い、局でデンスケと呼ばれるテープレコーダーとマイクを借りていって130R(自由席)で音を収録しながら観戦しましたね。
「イェーイ!佐藤琢磨、5位入賞!」なんて言葉をマイクで収録したのを覚えています。取材申請も出さずにF1の音を放送するなんて後で考えたら権利上アウトなんですが。。。(放送後に別番組のベテランのディレクターから怒られました。。。)
この時から、いつか地元の鈴鹿でモータースポーツを盛り上げたいって思うようになったのです。
まさに佐藤琢磨選手は僕をモータースポーツの世界へ再び導いてくれた選手。
今考えても、ものすごい影響力ですよね。
そして、約1年半後の2004年から僕は鈴鹿サーキットのレースアナウンサーになるわけですが、ペーペーの身にはF1日本グランプリの仕事なんてもらえるわけなく、F1は見学しているだけ。佐藤琢磨選手にマイクを向けるチャンスなんて、ありませんでした。
佐藤琢磨選手は同学年なんだけど、雲の上のようなところに居る人だったのです。
その後、佐藤琢磨選手とはフォーミュラニッポン参戦時やゲストとしての来場時にトークショーやイベントでご一緒させて頂く機会に恵まれましたが、佐藤琢磨選手のレースを実況する機会は一度もなく、その存在を知ってからすでに17年半も時間が経つことになりました。
ついに訪れた琢磨選手のレースを実況する機会
「佐藤琢磨のレースを実況するチャンスはもう無いかもしれない」
どこか自分の中で決めつけていたのかもしれません。
それくらい現実的では無いことでした。
今年の3月にはモースポフェスで「インディ500優勝・鈴鹿凱旋ラン」でご一緒させては頂きましたが、なかなか個人的に話す時間がある人ではないですし、すでにインディカー実況が決まっていたにも関わらず、全く実感はなく、ご本人に伝えて取材できたのはSRS(鈴鹿サーキット・レーシングスクール)の入校式の時。
この時、「アラバマはチームが良いデータを持っているから手応えはある」と語っていましたが、まさかまさかレーサーとして最も理想的な勝ち方である「ポールトゥウイン」を達成するとは。本当に恐れ入りました。
やっぱり佐藤琢磨選手はすごい人でした。生徒の前で熱く語り、最高のお手本を自分自ら見せる。
こんなことができる人なんてなかなか居ません。
実際にそのシーンを見て感じたので、実況の中でもその話をしました。
生徒たちが受けた刺激はきっと今までの卒業生が誰も受けたことがないものでしょう。
自身がSRSに入校する時から、常識外のことをやってきた佐藤琢磨選手ですが、今もなお、その部分は変わらず、周りの人に刺激を与えていく。身体の衰えがそこかしこに出てくるはずの42歳という年齢でも、結果につながる努力を惜しまない姿勢には、同世代として勇気付けられますね。
ほんと、僕ももっと頑張らなくちゃと思いました。
今のところ、今季のインディカー実況は1戦だけのスポット参戦ですが、
稲嶺ディレクターからは珍しく褒めてもらえました。
2008年の取材同行から10年以上かかりましたが、
稲嶺さんに起用して頂いたことに本当に感謝ですね。
またこうしてスポットでも喋れるチャンスがあれば、いつでも実況できるように、僕もテレビでインディカーを楽しみ、そして時間見つけて、今年1回くらいはアメリカに勉強しに行こうかなとも考えています。
少し時間が経って実感できましたが、
今回、佐藤琢磨選手の優勝を実況できたことを心から幸せに感じています。
一生忘れられないレースになりました。
優勝おめでとうございます!
No Attack, No Chance で、これからも勝ち続けてくださいね!
PS ご視聴頂いた皆様、ありがとうございました。
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